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情報に関する考察。その2。

ここ 10 年間ほど、シるという過程に対する私のイメージには、いつも Post-it が登場する。

それは、私の大学時代の学習法に関係がある。

最初は、自分が理解した(と思えた)事柄を紙のノートに書いていた。
新しい事柄が次々に登場するたびに、それらの相互関係を、ノートに反映させていく。
その当時は紙に筆記することに慣れていたので、しばらくはこの方法でやっていた。
しかし、そのうち書き直しが面倒になってきた。

次に、いわゆるルーズリーフを採用した。
前後関係を入れ替えたり、書き直したものに入れ替えたり、というのをページ単位でできるようになった。
しかし、それでも書き直しがあることに変わりなく、不満があった。

ここで、飛躍があり、
「できるだけ書かないようにしよう」と思った。
書かなければ、書き直す必要がない。

まず、良い教科書や、自分の思考に近い文書を見つけ、
その中の要点に、なるべく大きな付箋を貼る。
そして、必要であれば、そこに自分の理解の足跡を残していく。
何章の何節の何処とか何頁の何行目とか、ポインタを記入しておけば、
相互の関係も記述しやすい。
しかし、今度は教科書が膨れ上がっていった。付箋の厚みで。

最終的には、
付箋を貼っていた場所には、ID 番号だけを鉛筆で書いておいて、
その付箋自体は、ルーズリーフにバインドした無地の紙に貼ることにした。
ルーズリーフの返り咲きである。
教科書とルーズリーフとは 1 対 1 にして、章立てなども対応させる。


…と、前置きが長くなったが、
自分自身、相変わらず、上記と同じことをしているなぁ、と思うことが最近あった。

それは、プログラムのコーディング中。

私は、いずれ書き捨てのコードであるという前提で書き始める。

信用できる教科書の、あの部分とこの部分とを補完するストーリーを、
付箋に書くような気持ちで書き始める。

だらだらと手続き志向で書くのでメソッドが長くなるが、それで良いと思っている。

# 付箋と、メソッドとが対応しているイメージ?

理解が進んだら、付箋を張り替えるように、リファクタリングする。

よほど理解が進んだら、教科書の改定にコミットしたくなるかもしれない。

でも、どちらかというと、
教科書を参照しながら、具体的な状況のストーリーを記述するほうが
性に合っているんだろうな。

多分、理解する過程っていうのは、すごく個人差があって、
だから、チームのコードをキレイに保つのが難しいのだと思う。

関連: オブジェクト指向に対する抵抗感

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